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製造:小さな夢を大きく膨らませる髙木商店

ヒノマールは “Made in Japan” シリーズ①製造:有限会社髙木商店


hinomarc.®(ヒノマール®)は栃木県にある有限会社髙木商店さんで作られています。髙木商店さんは創業明治元年(1868年)。現在は国内生産されるビーチボールのシェアNo.1です。ヒノマールの共同開発に応じてくださり、国内特許及びPCT国際特許も共同で出願しています。有限会社髙木商店 代表取締役 髙木章雄さんに、ヒノマールとの出逢いとこれからについてお伺いしました。


右から佐藤工場長、高木社長、葛山(A to KA代表)。

小さな依頼を大切にして生き残った


 創業明治元年、としていますが、実はあまりよくわかっていません。昔は麦や米などの農産物や農機具を扱う仕事をしていたそうです。会社の敷地内に古い蔵がありますがその蔵が登記されていたのが明治元年でしたし、史料がなくてわからないからそのあたりにしておこうか、と (笑)。この地に来てからの髙木家としては私が8代目で、ビニールの仕事としては2代目になります。


有限会社髙木商店 髙木章雄 社長

 祖父の代では精麦業がメインでしたが、戦争が終わってお米やパンが食べられるようになると麦の需要が減っていきました。ちょうどその頃、ビニールとそれを加工する機械が入ってきたので、精麦業を止めてビニール製品を作る会社を始めました。昭和38年(1963年)年頃です。当時日本はビーチボールなどの主要な生産国になっていっていました。

 昭和40年代にはレジャーブームが起こり、ビーチボールを年間20~30万個作っても売れる時代。1回の発注が3万個という単位だった当時、3000個程度の小ロットで対応する会社が少なかったようですが、当社はロットが小さくても依頼があれば製造を引き受けていました。「来たら話を聞いてみる」が父のスタンスでしたから。40年代後半になると、海外製のビーチボールが入ってくるようになりました。そうなると、大量ロットの発注を引き受けていた会社も国内での製造を止め海外へ行き、結果的に国内で製造する会社としては当社が生き残っていったという流れです。


「社長の子どもの頃も知っていますよ。」と、約40年務めるスタッフの女性とA to KA代表葛山。


ビーチボールは技術の結集


 ビーチボールはとても簡単に作れるように見えますが、空気を入れて含ませるビニール製品を作るために必要な技術がギュッと詰まっています。1枚の大きなシートからパーツを切り出し、1枚1枚を貼り合わせて空気弁をつけてきれいな球体に仕上げる。単純なようで難しいんです。ビーチボールのおかげで他の仕事がうまくなるし、逆に言うと、ビーチボールが作れるとたいていの形の物がつくれるようになります。


「中心球を入れた筒と外側を貼り付けるのが、全行程の中で最も細かくて気を遣う部分です。」と佐藤工場長。

 hinomarc.(ヒノマール)はPVCという素材で作られていますが、これは手帳や辞書のソフトカバーと同じです。球体を作るよりも、平面の物を作ったほうが作りやすいですよね。ビーチボールを製造する会社が減っていった背景にも、球体をつくる難しさがあったと思います。

 当社がビーチボールを作るようになった頃はまだビニールが高級品でした。だから、シート1枚からより多くのパーツを取るために、パーツ同士を貼り付けるためのはりしろ部分をできる限り狭くしていました。はりしろが狭いと作業効率は悪いのですが、ひとつひとつ丁寧に貼り付けることで最終的な仕上がりのサイズが一定になります。海外製のものは作業効率を考えてはりしろが広く取ってあるので、仕上がりサイズにバラつきが多いそうです。ただ、それらは不良品というわけではなく製品としての許容範囲が広い、ということになります。


ヒノマールはひとつひとつ手作業で作られている。

 経費をかけないために磨いた技術ですが、それが結果的に製品の精度を高めることにつながりました。ヒノマールでも、A to KAさんとミリ単位・数g単位で製品仕様書を整えられたのはこうした技術の積み重ねがあったからだと思っています。


初めての共同開発


 2013年に葛山さん(A to KA代表)が初めて当社にいらして、ヒノマールの構想を聞いたり模型を見せていただいたりした時は「すごく複雑な構造だけど、こんなの作れるのかな?」という印象でした。地球儀のビーチボールの中に硬いプラスチック板の仕切りが入っていて、そのプラスチック板で中心の球を支えているものでしたね。あとは、全体がプラスチックで出ているものとか。亡くなった父(前社長)が主で葛山さんのお話を伺っていましたが、父は「なんだこりゃ?…まぁ、ちょっと考えてみて」と私に仕事を振ってきました(笑)。


 ちくわ状の製品を作り、穴の中に棒を通して空気を膨らませて棒を固定するという構造は広告関係の物で作ったことがあり、何かを中心で支えるにはその方法しか思いつきませんでした。だけど、使い方が全く違う入り方をされてきたから、できるのかな?どうやったらいいんだろう?と試行錯誤の連続でした。工場長と二人でいろんなパターンの試作品を作っていくうちに、「できなくはないかもしれないけれど、いったい(商品になったら)いくらになるんだ?」に気持ちが変わっていきました。正直なところ「この型で何とか納得してくれないかな」とも思っていましたけれど(笑)。


 筒で中心球を支えられても、打撃が加わると中心球が移動してしまうとか、衝撃で筒の部分が裂けてしまうとか、色んな課題をいただきました。うちとしてもとても勉強になったんです。A to KAさんが耐久テストを何度もしてくださり、その結果を教えてくれました。テストをしてくださったことで、自分たちが「今までの経験から考えると、ここが壊れやすいだろう」と予測していた部分と実際に壊れた部分が合致し、理解が深まりました。

 最終的には、筒で中心球を支え、たたいても中心球がずれにくい構造を取りつつも初期の物より耐久性が向上した今の型が完成しました。


すべてのボールに空気を入れて数時間放置し、空気漏れなどがないか確認してから出荷される。

 これまで何度もアイディアを持ち込んできた方はいらっしゃるけれど、商品化まで至ったものはヒノマールが初めてだと思います。オリジナルのビーチボールが作りたいという依頼を受けて見積もりを出すと「高いね」で終わってしまったり、アイディアだけ持ってきて、できない理由をお伝えすると諦められたり、売り先がない、売り方がわからない、売れない、となかなか製品化されなかったり。こだわった作りになるから価格が高くなってしまうし、高くて売れないのなら海外で作った方がいいですよと提案してきました。

 その点、葛山さんは諦められませんでしたね。遠いところを何度も通ってくださって。うちも葛山さんと組んで、成長させてもらっています。


ヒノマールの循環に向けて

 ヒノマールに使っているPVC(ポリ塩化ビニル:塩ビ)という素材はいわゆる「プラスチック材料」の中でもリサイクルしやすい素材なんです。

 そもそも、プラスチック材料にはPE(ポリエチレン)やPP(ポリプロピレン)等様々ありますが、100%石油でできているそれらのプラスチックと異なり、PVCは石油が40%で塩が60%でできていて、省資源性の環境にやさしいプラスチック素材と言えます。ヒノマールのPVCは非フタル酸素材なので、人にもより安全性の高いものを使っています。一時期PVCは塩が含まれているためにダイオキシン問題で悪者にされましたが、PVCよりも家庭ごみの中の塩の方が問題なんですけどね。


※ダイオキシンは漂白紙や塩、醤油、海水、PVCなどの塩素源と炭素源が空気中で約250~400度の不完全燃焼することにより発生すると言われている。近年は800度以上の高温焼却炉が増加したため、ダイオキシンの発生が抑制できている。


プラスチック素材の中でもリサイクル率が高いPVC。

 当社の工場で出た端切れのPVCは100%リサイクルされています。車止めやポール、玄関マットなどの裏面の黒い部分や本のソフトカバーなどです。最終的に使えなくなったものはアスファルトなどに利用されているそうです。再生品を使うと不純物が含まれていた場合に品質の担保ができないので、当社では空気を入れる製品には再生品を使用していませんが、当社から出たPVCは100%再生されています。

 他のプラスチック材料に比べてPVCは加工しやすく、再生するときのエネルギー量も少なめだと聞いています。連続的に再生できる汎用プラスチックとしては優秀な素材ではないでしょうか。とはいえ、PVCはペットボトルなどのように流通量が多くはないし、一般の方から見たら見分けがつきにくいため家庭ごみからの資源循環システムはまだできていないのが現状です。

 葛山さんとは「壊れて使えなくなったヒノマールがただ捨てられるだけではなく、何らかの形で回収して新たに生まれ変わらせていくことができたらいいね」なんて話をしていました。


 当社は「お客様の希望を大きく膨らませます」という想いを掲げています。A to KAさんの夢も一緒に大きく膨らませていけたら嬉しいです。


右から佐藤工場長、高木社長、葛山(A to KA代表)。


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