球技が苦手だったからこそ
開発できたヒノマール

私は幼少期、あらゆる球技が苦手でした。ドッチボールでは同級生のボールがキャッチできず、投げようとしても手から離れ、結局は走って逃げ回っていました。野球をやればフライが取れず、ボールが顔面に直撃をしました。サッカーをすれば、ボールは足元から離れていき、私にとってボールはとても怖い存在でした。

だから必然的に球技ではなく音楽の道を選びました。10歳の頃に兄からドラムを学び、学生時代はバンド活動に打ち込み、20代の頃には上京をしてプロミュージシャンを目指しました。ドラムを通してあらゆる打楽器は真ん中を叩くと低い音が鳴り、端っこを叩くと高い音に変化をしていくことを学びました。

1995年、ヨハン・クライフ監督率いるFCバルセロナは"エル・ドリームチーム"と呼ばれ無敵を誇っていました。試合ではロナルド・クーマン選手の放つ強烈なフリーキックは『ドーン!』と重く低い音を響かせてゴールネットに突き刺さりました。「ボールは打楽器と同じなんだ!」 と発見をしました。

2001年頃には、打楽器の視点から芯が見えるボールのコンセプトが固まり、それを具現化しようと試みました。しかし開発はそう簡単には進みませんでした。
『きっと他の誰かが僕の代わりにボールを作ってくれるだろう。』と私は簡単に諦めました。しかしその後、諦めたはずのボールの事がずっと頭から離れませんでした。
2011年3月11日、突然大地が揺れました。宮城県仙台市出身の妻の実家は被災をし、沿岸部で働いていた義父は「津波から逃げる」とのメール後、3日間音信不通になりました。

妻の知人からはSOSの連絡が入り、震災から10日後に宮城県気仙沼市で始まるボランティア活動に参加をしました。激しい余震が止まらず、まるで戦場の様でした。僅か10日間の活動にも関わらず心身は疲弊し、絶望感に苛まれながら自宅のある名古屋へと車を戻らせました。
途中、休憩のために立ち寄った富士川サービスエリアで全身に鳥肌が立ちました。あまりにも富士山が美しかったからです。そして『おまえは、これから何をするのか?』と巨大な富士山が語りかけてきた様な氣がしました。

その時に『芯が見えるボールの開発を再チャレンジして、子どもたちに届ける』と富士山に誓いました。

一人で始めたプロジェクトは今、妻と仲間との4人で進めています。
2011年から紆余曲折11年も経ってしまいましたが仲間達のお陰で特許 PCT国際出願を経て、ヒノマールは2022年にようやく完成をしました。

​A to KA 代表 葛山真司

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