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ボールが怖かった幼少期の不思議な体験。

小学生低学年の頃、ドッジボールでは同級生のボールがキャッチできず、投げようとしても手から離れ、走って逃げ回っていました。野球をすればフライが取れず、ボールが顔面に直撃したこともありました。サッカーをすれば、ボールは足元から離れていき、私にとってボールはとても怖い存在でした。

 

しかし、小学5年生の頃の体育の授業「サッカー」で不思議な経験をしました。相手チームゴール前でゴールに背を向けてポジションをとっていた私は、フィールド中央から身長以上の高さで飛んできた仲間からのパスに対して、ボレーシュートで合わせることができました。

ボールに向かってジャンプし、ボールに足を合わせ、ボールがゴールネットに入り、地面に着地するまでの一連の動きは、まるでスローモーションのようにゆっくりと流れました。

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10歳の頃、自宅前の路上にて

空中のボールを捉えるとっさのイメージは、ボレーシュートではなく当時憧れていたプロレスラー、初代タイガーマスクが得意としていたサマーソルトキックという技でした。

ボールはドラムである。

少年時代は球技を選択することはなく、7歳年上の兄からドラムを学び音楽の道を選びました。学生時代はバンド活動に打ち込み、プロミュージシャンを夢見ていました。

打楽器は中心を叩くと低い音が鳴り、端を叩くと高い音が出ます。その音の変化によってリズムを刻んでいきますが、そのリズムを自由に操ることはとても難易度が高いことでした。​

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プロドラマーを目指した20代

「Jリーグ開幕」や「ドーハの悲劇」を機にサッカーが大好きになっていきました。当時、スペインサッカーリーグのTV中継を観ていた時に、大きな発見をしました。ロナルド・クーマン選手(FCバルセロナ)が放った強烈なフリーキックはボールの重心を捉えた「ドーン!」と重く低い音を響かせ、ゴールネットに突き刺さりました。その音を聴いた時、ドラムの経験から「ボールはドラムと同じなんだ!」 と直感しました。

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1996年、名古屋グランパス監督時代のカルロス・ケイロス氏(元レアル・マドリード監督、現カタール代表監督、中央)と開発者(右)

そして、ボールもドラムも重心を捉えて真っすぐ響かせること、重心から外してコントロールすることを自由に操ることが上達のコツなのだ。と気づきました。

ボールの芯が見えるボールがあれば、私みたいに球技が苦手な子ども達の助けになるのではないか?というアイデアが湧きました。

「地球の重心」を感じ
「リズムの中心」が捉えられるようになった衝撃体験。

20歳だった頃、ドラマーとして在籍していたバンドは少しずつ人気が高まっていきました。そして、ある大手レコード会社とプロ契約のところまで辿り着きました。しかし、自分が奏でるドラムのリズムがどうしても納得がいかずバンドを脱退する決断をしました。

その後、日本から逃げるようにメキシコ全土を巡る放浪の旅に出ました。メキシコはプロレスラ―・初代タイガーマスクの影響で幼少期からの憧れの地でした。

旅から半年後、何かに導かれたかの様にマヤ文明の「トゥルム遺跡」に辿り着きました。遺跡を見た瞬間、「あっ!ここを知っている、懐かしい・・・」心の底から落ち着く感情が湧き上がりました。記憶を辿ると、幼少期の頃によく見た夢の光景と同じでした。

マヤ

興奮しながら、敷地の奥に鎮座する中央神殿に近づくと、次の瞬間「ズドーン!」と、身体を稲妻が貫いたかのような、全身を揺さぶる強烈な衝撃を感じました。

 

一体今何が起こっているのかを理解不能で、何とか立っていられるくらいの混乱状態が続きました。

 

落ち着きを取り戻すと、足元の奥深くに銀色に輝く「地球の重心」がはっきりと感じ取れました。何故ならば、身体を貫いた稲妻の残像が、「地球の重心の位置」を教えてくれたからです。そして銀色の稲妻の残像は、宇宙の一点と自分と「地球の重心」を一直線で繋げました。やがて、恐怖心は心地良さへと変化していきました。

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この摩訶不思議な稲妻の体験直後から、私の身体パフォーマンスに劇的な変化が現れました。というのは数日後、近くのビーチで世界中から集まった様々なミュージシャン達と演奏をする機会があり、自分の奏でるドラムのリズムの変化を実感したからです。

 

信じられないことに、散々苦労をしていた「リズムの中心」が、正確無比に捉えられるようになりました。その結果、苦手だったはずの流れてくる音楽や機械が奏でるメトロノームのテンポに合わせて自由自在にドラムを叩くことができるようになりました。どんなリズムにも合わせることができるようになりました。あれほど納得がいかなかった自分のリズムを掴むことができたのです。

からだの仕組みを学んだカリブのビーチ

ビーチに滞在中、ドラムスティックをからだの一部にさせるからだの動かし方にも気づくことができました。
あるドイツ人女性に一目惚れをしてしまい、彼女との別れ際、私が唯一持参していたドラムスティックを贈りものとして渡してしまったことがきっかけでした。

カリブ

彼女がいない淋しさと、ドラムスティックを渡してしまった後悔で、ハンモックに揺られていました。するとルームシェアをしていたイスラエル人が、私を励ますかのようにスピーカー付きのウォークマンで音楽を流しました。それは僕の大好きなJimi Hendrixの曲でした。つられてスティックの無いエアドラムで曲に合わせました。その時、今まで感じることが無かった自由自在にドラムを叩ける感覚に気づいたのです。今まで「ステックの先をどう動かすか。」ということしか考えていませんでした。しかし、スティックを使わずに練習をすることで、「身体が動かなければステックは決して動かない。ドラムスティックを動かす為には、指がしなやかに動いていなければならず、その指を動かすためには手首、上腕、肘、前腕、肩から動いている連動が重要」だと身をもって理解しました。

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ドラムススティックから解放された直後

運命的な運動科学理論との出会い。

日本に帰国し「銀色の稲妻の正体とリズムの中心を掴むことができた関係性について」答えを探し求めました。
2001年のある日、運動科学者の高岡英夫氏が主催する講座に参加をし、彼が提唱する運動科学理論を学ぶ機会を得ました。

「地球の重心を感じながらからだからだをゆるませると、銀色のセンターが立ち上がる。」

ここに答えがありました。高岡氏の運動科学理論の核心部は、私がメキシコで経験した事と極似しており、すべてが腑に落ちました。

更に高岡氏の書籍からは、「超一流の選手が、見ることや触れることができない『ボールの重心』を正確に捉えることができるのは、その選手自身の重心感知能力・制御が行われているからこそ『ボールの重心』を正確に割り出すことができる。」ということを学びました。
この本に描かれていたイラストは、小学生の時の空中で放ったシュートと重なりました。

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高岡英夫氏の著書「究極の身体」

その後、「芯が見えるボールのアイデアを具現化すれば、球技が苦手な子どもたちの役に立つだけではなく、からだの重心感知能力を高める良い影響を与えて、あらゆる運動能力の向上に貢献できるのではないか」との考えに至りました。

 

ボールの開発を始めようかと行動しましたが、様々なハードルに直面し「きっと他の誰かも同じように思いついているはずだ。」と私は簡単に諦めてしまいました。しかし、諦めたはずのボールの事は、ずっと頭から離れませんでした。

震災から富士山への誓い

2011年3月11日、突然大地が揺れました。私の妻は宮城県仙台市出身で、震災から10日後、妻と共に宮城県気仙沼市でのボランティア活動に参加をしました。激しい余震が収まらず、まるで戦場の様でした。ボランティア参加は僅か1週間でしたが心身は疲弊し、何もできなかった絶望感に苛まれました。

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帰路、高速道路のサービスエリアで見た富士山が「おまえは、これから何をするのか?」と語りかけてきた様な氣がしました。その時自分にしかできないことをやろう!と思い「重心が見えるボールの開発をチャレンジして子どもたちに届ける」と富士山に誓いました。

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被災地からの帰路、富士川SAにて(2011年)

2011年4月から開発を始め、2012年に特許(特許第5005119号)を取得しました。栃木県でビーチボールを製造している有限会社髙木商店さんとの、度重なる試作の末に2014年にビーチボール素材でのモデル化に成功しました。

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初めて取得した特許構造

髙木社長(中央)、佐藤工場長(右)

更に自然界のデザイン「りんごの構造」をヒントに、設計を一から考え直し2023年に現行モデル※が誕生しました。

※ 国際特許番号PCT/JP2022/022464

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80億分の1のアイデアは、かけがえのないものだと身をもって実感した

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この4名でヒノマールを開発し、お届けしています。

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