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ボールがいつも怖かった・・・

芯の見える透明ボール着想の原点は、僕がこれまで球技をロクにしたことがない全くの素人だったからだと思う。


会話の席でヒノマールの話になると必ずといっていいほど、葛山さんはずっとサッカーやスポーツをされていたんですか?と聞かれる。


答えはNO! 


僕は子どもの頃からほとんどまともにスポーツをしたことがない。


水泳、特に球技は大の苦手。唯一の取り柄、足だけは速かったので運動会ではいつもリレーの選手には抜擢されてはいた。


小学校クラスのヒーローは決まってドッチボールが上手かったが、僕はまともにコントロールのついた球を投げることができなかった。ボールが手につかずフワフワ抜ける感覚がいつも気持ちが悪かった。「僕は早生まれだったからだ」と今になって身勝手に理由をつけているが、同学年でも一回り体格が違うガキ大将の力強いボールをキャッチすることはいつも難しかった。だからコートのなかではいつも逃げまくっていた。


とにかくボールが怖かった。


小学校高学年から始まる、野球部(春夏)、サッカー部(秋冬)に入部するもすぐに帰宅部に。

野球部では、フライがうまくキャッチできずボールが顔面に直撃しそれ以来ボールへの恐怖がトラウマになった。宇野選手(中日)の珍プレーのように硬いボールが顔面を大きく弾んだ。


【宇野選手・伝説の珍プレー】


キャッチボールの練習ではいつも暴投して友人をいらだたせていた。先月に開催した小学校5、6年2組、クラス会で32年ぶりに再会したその友人S(赤矢印)に謝ったら彼はその記憶はすっかり忘れていた(苦笑)

サッカー部では、開始直後に始まる10回以上リフティングテストがクリアできず強制帰宅させられた。

サッカーボールも足につかず、とにかく全てのボールがいつも怖かった。


帰宅部では、もっぱらファミコン・ゲーム三昧の日々だった・・・そんなある日、隣の兄の部屋から音楽が聴こえてきた・・・





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