苦手な球技、得意なドラム。
そして出逢ったhinomarc.

ボールは打楽器である。

20年前のある日、サッカー・スペインリーグのテレビ観戦をしていた。

試合中盤、相手チームの反則がありフリーキックの場面が訪れた。

フリーキックの名手であるオランダ人選手が放った強烈なシュートは『ドン!』と重い低音を響かせながら、無回転でゴールネットに突き刺さった。スタジアムは歓喜に包まれた。

私は、スタジアムに響いたあのシュートの音が未だに忘れることができない。

何故ならば、その音は私のある経験と一致をしてhinomarc.のコンセプトが誕生した瞬間だったからだ。

 

私は、幼少期の頃からドラム(打楽器)を演奏している。20代の頃には、上京をしてプロを目指したこともある。

ほとんどの打楽器は、真ん中を叩くと低い音が鳴り、端っこ(エッジ)付近に移動していくにつれて高い音に変化をしていく。

あの選手が放った強烈なシュートは、ボールの真芯を正確にインパクトしたことで、まさにドラムや和太鼓のように低音を轟かせた。

球技と音楽とのセッション(融合)・・・「ボールも打楽器なんだ!」と氣づかされた瞬間だった。

ドラムは友だち

hinomarc.の開発経緯について、周囲の人たちは決まって、私にこんな質問をする。

「子どもの頃からサッカーをされてきたんですよね?」と。

しかし、

「いいえ。私は、ほとんどサッカーをした経験がありません。足は速かったけれど、あらゆる球技が苦手でした。」私の答えで皆一様に驚く。

私はとにかくあらゆる球技が大の苦手。ボールは手や足に全く付かず、ボールはとても怖い存在だった。

だから、幼少期の頃からドラムの練習に明け暮れたのだった。学校から帰宅すると部屋にこもり、カセットテープが擦切れるほど、何度も何度もドラムのフレーズを繰り返し聴き、独学で練習に励んだ。

ドラムが友だちだった。

78億分の一の挫折

(一般的に、球技を練習するうえで『ボールの芯=重心を捉えることは重要である。』といわれている。

がしかし、その芯は決して目では見ることができない。

だから、一流の選手たちは、膨大な練習量で、ボールの芯の感覚を身体に徹底的に覚え込ませる。

フリーキックを見事に決めた某選手もその一人だろう。)

 

20世紀から21世紀に移行する2001年、あの試合のフリーキックを観て

「打楽器の発想で、芯を見える化したボールの開発をしたら、球技に新たな可能性と希望を導きだせるのでは!」とアイデアが浮かんだ。

ボールの開発に着手したが作業を進めるにつれて、様々なハードルに直目した。

そして、とうとう世界人口78億人の脳みそと自分の脳みそを天秤にかけた。

『どうせ世界の誰かが既に同じアイデアを考えてしいて、芯の見えるボールを作ってくれるだろう・・・』と。私は諦めて逃げた。

東日本大震災の経験

けれども逃げれば逃げるほど、ボールの事が頭から離れなかった。

そんなあの日、大地が揺れた・・・

宮城県・仙台市出身の妻の実家は被災をした。沿岸部で働いていた義父は「津波から逃げる」のメール後、3日間音信不通になった。震災から10日後、妻の知人からのSOSの電話があり、宮城県気仙沼市での復興ボランティアに参加をした。震度5以上の余震が続く中、まるで戦場のような凄まじい惨状だった。

約10日間の活動を終えて、圧倒的な自然の驚異に打ちのめされ、無力感と絶望感に苛まれながらの帰路だった。

そんな道中に立ち寄った東名高速道路の富士川SA。そこで目に入った富士山があまりにも美しかった。

その富士山が『おまえは、これから何をするのか?』と語りかけてきたような氣がした。

『芯の見えるボールの開発をもう一度チャレンジして、子どもたちに届けよう』と決意した瞬間だった。

 

東日本大震災の年に生まれた子ども達が大人になる2030年に、ワールドカップが開催予定である。

念願の初優勝を現実のものとし、日本中に歓喜と希望をシェアするべくNewヒノマールは、着想から20年の時を経て2021年、ここに誕生をした。